ここからお読みくださる方は、昨日の記事からお読みくださいね。
「ワクワクして始めたもの」が重荷になって、しばらく休むことにしました。
そして、休んでいる間に、「その活動をやめる」という結論に至りました。
けれど、やめる意思を伝えることに躊躇していました。
あるサークル活動だったのですが、そこの先生が私にとても期待をかけてくれていた、という背景がありました。
その先生の「期待に答えたい」という気持ちが「期待に答えなければならない」という義務感にかわっていたことで、苦しくなっていたのです。
私は、“(先生の)期待に答えられなかった自分”を完全に受け入れることが出来なかったのです。
そのまま長期間休んでいたところ、先生の方から、連絡があり、
「このままだと退部になりますよ」と言われました。
そこで、自分の本音を伝えるにあたって、勇気を持たせてくれる「アサーティブ・コミュニケーション」の出番となりました。
「アサーティブ・コミュニケーション」は、「アサーション」とも言いますが、「自分も相手も大切にする自己表現法」の事。
言い換えると、
①自分の考えや気持ちを、我慢もせず、攻撃的にもならずに、素直に、冷静に伝えてみようとする事。
②伝えたら、素直に相手の反応を受け止める事。
(アサーションについて以前書いた記事があるので、ご参照ください
アサーションを用いて、先生に自分の本音を伝えたところ、初めはショックを受けていた様子でしたが、最終的には、私の結論を尊重してくれました。
相手には相手ならではの反応と気持ちがあるので、それを受け止めることには、勇気が要ります。
けれど、相手のネガティブな反応を予想して、自分の気持ちを抑えると、自分を尊重していないことになります。
相手の期待に答えるために、自分を抑えてやりたくない事を続けると、それは「やらされている」という感覚になります。
自分で主体的に選んでいないことで、自分の責任として引き受けられずに、その我慢はいつか相手を責める気持ちや恨みに変わることも多いと思うのです。
自分を尊重するとは、自分で物事を選択し、自分で責任をとる、ということでもあります。
そして、そのような姿勢が「人のせいにしない」という生き方にもつながっていくと感じます。
ワクワクして始めたものが、義務感に変わっていったとき、私には、この他にも、学びがありました。
まず、以下のような自分を制限している信念に気づけたという事。
「相手の期待に答えられるように、頑張らなくてはならない」
「相手を喜ばせられるように、頑張らなくてはならない」
という信念です。
そして、ワクワクには、大きく分けると「浅いワクワク」と「深いワクワク」があるのではないか、という洞察を得られたことです。(これは、まだ仮説の段階ですが。)
これに関しては、またいつか書いていこうと思います。